関裕二先生インタビュー(前編)
「異端の古代史」シリーズ著者:関裕二先生インタビュー
Q2:『古代神道と神社 天皇家の謎 異端の古代史①』 (ワニ文庫)を執筆しようと思った(当時)動機をお聞かせください。
日本人を語る上で、最も重要な「天皇」「神道」を誰もわかっていません。当然、学校でも教えてくれません。
神道の根本は実にシンプルです。それを簡潔に伝えたかった。
また、天皇が何を祀っているのか。誰も知りません。大嘗祭の本を読んでも謎だけが残るはずです。
学者の方は本質をおっしゃいません。学問的に立証されていることしかいわない。それでは本質が見えてこないのではというのが、本書執筆の動機です。
神と鬼とは表裏一体であるという原理がわかれば、様々な謎が解けていきます。
例えば日本の歴史において、天皇に対し、手をかければ、恐ろしい目にあうという漠然とした恐怖は、民衆も、為政者も持ち続けてきました。
天皇は、大自然と一体であり、一度怒りだしたら手がつけられないという認識を日本人は持ち続けてきたのです。
本書はその「天皇」「神道」の根本的な謎に迫ります。
Q3:神社や神道の関心が非常に高まっていると思うのですが?
日本人が神道や天皇の本質をやっぱり知りたくなってきているからではないでしょうか?
今は神という言葉を西洋のGODと同義的に扱っています。そういう感覚が本質をより分からなくさせていますね。
日本は明治維新のときに天皇を中心とした西欧的な帝国主義国家をつくりました。天皇を一神教的な絶対の神に仕立て上げていて、そこでもう神の概念が変わっています。近代の神道もそれに倣ってきました。
もっと砕けていいますと、八世紀の段階で神道はそれまでの伝統をもう全部壊しているのです。だからみんな修験道に逃げたのです。それを明治の前段階で八世紀の神道への再度の組み換えを行いました。
そういう神道の本質を今まで誰も教えてくれなかったわけです。それはやっぱり知りたくなりますよ。
また、戦後だけの歴史観では当然、天皇の本質はわかりませんよね。ただ、中世史に溯ったらわかるか?といわれても、これも不十分です。
そもそも古代天皇は権力を持っていたっていう前提から始まっているから、おかしくなるのです。
神道と天皇の出発点がわかってないから、議論がかみ合わなくて、段々ちぐはぐな方向にいって近代まで来ています。ですから、神道や天皇がますますわからないのではないでしょうか。
古代天皇は権力を持っていません。
でも、天皇は非常に恐れられていました。
なぜか、それは天皇が神だったからです。西洋的なGODではないですよ。
現在にも通じる祟りが恐ろしいっていうのは、あくまでも昔の人にとっては常識的な価値観です。しかし、その価値観はあくまで当たり前ですから文献には残っていません。
けれども、その価値観抜きで日本史を語っても、大事なことはさっぱりわからないのです。
宗教を語らないと、世界史は語れないじゃないですか。世界情勢もそうです。アメリカの行動にしろ、中東の行動にしろ、信仰をまず理解しないと何が起きているかわからない。
日本も同じですよね。
日本人の信仰はいかなるものか、はっきり示さないといけない時期なのではないでしょうか。
日本人自身が自分たちに信仰心があるなんて夢にも思っていないでしょうけど、それはとんでもない話だと思います。
日本人は多神教の世界にいて、自然災害に対して諦念を抱いています。日本人は全宇宙のなかのちっぽけな存在として諦めがもうできているんですよね。
それはもう信仰といっていいと思います。
これは信仰であるし、思想であるし。それ以上の哲学は必要ないんです。
哲学なんていうのはキリスト教の行きついたところで、人間が自然界を支配するためにどうすればいいか?という思考の先っちょですからね。答えが出ないのですよ。人間が自然を完全に支配するなんてことは無理なんですもん。(笑)
この続きは、6月4日(木)掲載予定の後編で――!!
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